小栗忠順という人物についてちょっと思ったこと その1

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1、はじめに
小栗忠順という人物は、幕末に勘定奉行外国奉行などを歴任し、徳川家を支えた人物である。
最近、色んな所で再評価されている人物だ。
私も興味を持ち何冊か小栗関係の本を読んでみている。
その中の一冊で、佐藤雅美氏の「覚悟の人 小栗上野介忠順伝」の中で、
『だが江戸には小栗がいる。小栗の兄貴分の水野忠徳も健在だ。小栗や水野なら大久保や西郷に引けをとらない』
と述べている。
少し引っかかる文章である。
私は幕末とは、尊王攘夷論や幕府体制是非で揺れた乱世と捉えている。
そして、西郷や大久保はその乱世を制した「乱世の雄」と言うべき人物である。
その西郷・大久保に小栗や水野は対抗出来る人物だろうか?
水野については別の機会に置いておいて、小栗についてちょっと考えてみた。

2、軍事能力
西郷は、禁門の変や鳥羽伏見の戦いに参加した。
大久保は、薩英戦争に参加したらしいがいまいち不明。
小栗は、軍事改革に関わるが、実戦経験(前線の部隊長・司令官・参謀等)は無い。第二次長州征伐も鳥羽伏見の戦いも江戸にいた。
小栗の軍事能力についてはよく箱根の迎撃策への大村益次郎の評価である「その策が実行されていたら今頃我々の首はなかった」というものがあるがこれはどうだろうか?
これについて、作家の海音寺は「図上作戦としてはなかなか優秀なものだが、当時の幕府海軍の操船術で、これだけの大作戦が出来るかどうか」と疑問を呈している。
私も敵軍を殲滅させるなどそう都合よくいくか疑問である。
なお大村益次郎であるが、江戸湾にある江川英龍が作った台場を、
「あれはタクチック(戦術)だけでストラトギイ(戦略)ということを知らぬ人がこしらえたので、江川先生がこしらえたのはタクチックである。あれはすなわち画餅である」
と酷評したが、私も小栗の策についても戦術だけなら尤もらしいが、戦略面が疎かで絵に描いた餅に思える。

3、京都政治
西郷も大久保も京都に長く居り、朝廷内から一会桑政権、諸藩との対応を行った。
小栗は、基本江戸を中心に活動。

4、国際外交
西郷は、イギリスから銃などを購入していた。
小栗は、アメリカの渡航経験有り。国際政治に関し広い視野を持っていた。
また幕政の中心にあり、フランス式軍制の導入やフランス人技師を招き横須賀造船所を造った。
ただしフランスから600万ドルの借款を企画したがこれは失敗。

5、敵対者への外交
西郷は、第一次長州征伐で、幕府軍に長州に寛大な処置をするように誘導した。また数年後、敵対関係にあった長州と薩長同盟を結んだ。
小栗は、ロシア軍艦対馬占領事件で、対馬藩主への謁見を安請け合いし問題をこじれさせた。

(続く)