金田一耕助について

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小学生ぐらいからずっと金田一耕助シリーズが好きだった。
他には無い、横溝正史独特の世界観に魅かれていた。
ドラマや映画は結構見た。本の方はどちらかというと映像化されていない作品を見る傾向にあった。
一番好きなのは古谷一行の金田一で、他には石坂、西田、鹿賀なども思い入れがある。古谷金田一は1977年の横溝正史シリーズが最も好きである。

 

さて、金田一耕助について。
事件の舞台は、旧華族・田舎の資産家・財閥の一族などが多い。そこで読者に提示されるのは、古い因習やスキャンダラスな事件、怨念等々である。しかしそこに場違いとも言える風体の男・金田一耕助が現れる。
金田一耕助はとても不思議な人物である。
彼は事件について、人々のアリバイや犯行時間などに当然目を向けるがそれだけではない。警察がただ犯行の証拠などに目を向けている時、彼だけが別な方向を見ているのだ。その事件の本当の動機、真犯人について。

 

なお、ミュージシャンで作家の大槻ケンヂはこう言っている。
横溝正史が書く怪奇探偵物語の構造をスパッと言っちゃうと、結局のところ「執着VS無欲」ということになる。仏教で言うところの苦しみの根本原因である「執着」にとらわれた人々が、横溝作品には次々と登場する。
(中略)
執着にとらわれた人々が地獄に落ちた後で、(中略)地獄に落ちた人々の業の深さを、肯定して受け入れてあげるのが、横溝物語の中でただ一人の無欲の人、金田一耕助の仕事だ。名探偵よりも名僧として、僕は金田一を見ている。』(大槻ケンヂのお蔵出しより)

 

とても納得のいく言葉である。

金田一は相手を徹底的に理詰めで攻めるタイプではない。

彼の言葉には物事を優しく包もうとする姿勢があるのだ。