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坂口安吾「堕落論」

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久々に坂口安吾の「堕落論」(角川文庫)を引っ張り出して読んだ。

以下、気になった部分を抜粋。

「日本文化私観」
・伝統とか、国民性とよばれるものにも、時として、このような欺瞞が隠されている。凡そ自分の性情にうらはらな習慣や伝統を、恰も生来の希願のように背負わなければならないのである。だから、昔日本に行われていたことが、昔行われていたために、日本本来のものだということは成立たない。外国に於て行われ、日本には行われていなかった習慣が、実は日本人に最もふさわしいことも有り得るし、日本に於て行われて、外国には行われなかった習慣が、実は外国人にふさわしいことも有り得るのだ。
・見たところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。

 

堕落論
・人間の、また人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところ素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることがまず人間の復活の第一の条件だ。そこから自分と、そして人性の、真実の誕生と、その歴史が始められる。
・人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
・戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
・だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。


「続堕落論
・一口に農村文化というけれども、そもそも農村に文化があるか。盆踊りだのお祭礼風俗だの、耐乏精神だの本能的な貯蓄精神はあるかも知れぬが、文化の本質は進歩ということで、農村には進歩に関する毛一筋の影だにない。
・堕落自体は悪いことにきまっているが、モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。


デカダン文学論」
・困苦欠乏に耐へる日本の兵隊が困苦欠乏に耐へ得ぬアメリカの兵隊に負けたのは当然で、耐乏の美徳といふ日本精神自体が敗北したのである。人間は足があるからエレベーターでたつた五階六階まで登るなどとは不健全であり堕落だといふ。機械にたよつて肉体労働の美徳を忘れるのは堕落だといふ。かういふフザけた退化精神が日本の今日の見事な敗北をまねいたのである。
・処女の純潔などといふけれども、一向に実用的なものではないので、失敗は成功の母と言ひ、失敗は進歩の階段であるから、処女を失ふぐらゐ必ずしも咎むべきではなからう。

 

「戯作者文学論」
・私は漱石の作品が全然肉体を生活していないので驚いた。
漱石は、自殺だの、宗教の門をたたくことが、苦悩の誠実なる姿だと思い込んでいるのだ。

 

「教祖の文学」
・人生はつくるものだ。必然の姿などといふものはない。