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小栗忠順という人物についてちょっと思ったこと その2

幕末史

6、組織内の折衝
西郷・大久保は、倒幕に消極的な薩摩藩を倒幕へ誘導した。
ただし人物への好悪が激しい西郷は、島津久光に「地五郎」などと暴言を吐き組織の不調和を生じさせるようなこともしている。
小栗は、京都の敗戦から逃げてきた徳川慶喜主戦論を述べるが失敗。

7、人望
西郷には多くの人間がつき従った。誠忠組のリーダーとして組をまとめた。
小栗は、自分が正しい思ったら突き進むタイプ。他者とは調和しづらい性格で、一説によると任免を七十回したとされる。
軍制改革の一環で直参から分担金を徴収しようとしたら反対され嫌われた。人望はあまり無かった模様。

8、改革
西郷・大久保も藩内の意見調整や藩政誘導重きを置き、藩全体の改革には重点を置かず。薩摩藩の改革と言えばどちらかというと藩主・島津斉彬の業績が大きい。
小栗は、軍事改革、財政改革、近代産業の育成を行う。

多くの近代化の構想を持っていたと言われる。大隈重信の言葉で「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない」というものがある。ただし先見の明があるのは事実であり、構想も持っていたようであるが、それだけで高く評価するのはどうであろうか?
政治に関わらず全ての仕事とはやり遂げてこそ意味があると思う。「先見の明」「構想」だけで小栗を高く評価する向きがあるようであるが、その点は過大評価であると思う。

9、権謀術数
西郷・大久保は、幕府に対し面従腹背しつつ、倒幕勢力をまとめ上げた。
小栗は、正規の手続きを好む。権謀術数は不得意。横暴なロシアに対応出来ず、薩摩藩の挑発にまんまと乗った。

10、まとめ
以上のように、適当に思うまま小栗と西郷・大久保を比較してみたが、結論としてはやはり小栗では西郷・大久保には対抗できなかった思う。
危機感を持ち多くの改革に着手した評価できる。特に財政や外交手腕では優れた結果を出している。
しかしそれだけで乱世は制することはできない。
敵対者への対応を見ても、対馬を占領したロシアには適切な手段は講じえず、薩長には主戦論一本で、柔軟性に欠ける。
政治闘争の中心である京都とは遠く距離のある江戸で主に活動をしており、京都の情勢に対し正確な理解があったか疑問である。また戦争の実戦経験も無い。
自信家である小栗は、慶喜の指示無しに薩摩藩邸焼き討ちを主張・主導した。戊辰戦争勃発と徳川家敗北という結果から言えば徳川家没落の戦犯の一人と言える。
小栗は軍制改革も行っているが、金の交換比率の改正交渉、横須賀製鉄所、兵庫商社などの業績から考えると、基本的に治世向きな人物と思う。
小栗も平和な時代に生まれていれば、もっと徳川家のために手腕を振るえたのではないかと思う。

 

参考文献

佐藤雅美「覚悟の人 小栗上野介忠順伝」
童門冬二「小説 小栗上野介
海音寺潮五郎「幕末動乱の男たち」
海音寺潮五郎江戸開城
藤井哲博「咸臨丸航海長小野友五郎の生涯」
松本健一「開国のかたち」
高橋敏「小栗上野介忠順と幕末維新-『小栗日記』を読む-」